2017-08-16 16:58 | カテゴリ:韓国
■韓国産の卵から殺虫剤検出 出荷中止に=韓国政府

2017/08/15 聯合ニュース

韓国産の卵から殺虫剤検出(470x264)
韓国産の卵から殺虫剤の成分が検出された(聯合ニュースTV提供)=(聯合ニュース)

【ソウル聯合ニュース】欧州で家畜の害虫駆除に使われる殺虫剤の成分が卵から検出され波紋が広がっている中、韓国産の卵からも同じ成分が検出されたことが明らかになった。

 韓国政府は15日0時から全国の3000羽以上の規模の農家で生産される卵の出荷を全面中止し、全数検査を開始した。

 農林畜産食品部は14日、オーガニック産卵鶏農場を対象に残留農薬の一斉検査を行ったところ、京畿道南楊州市の8万羽規模の産卵鶏農家で殺虫剤の「フィプロニル」が定められた基準値を超えて検出されたと発表した。

 また同日、京畿道広州市の6万羽規模の産卵鶏農家では、鶏についたダニから殺虫剤の「ビフェントリン」が基準値を超えて検出された。

 フィプロニルが検出された農家の1日当たりの卵の生産量は約2万5000個で、韓国の農家でフィプロニルが検出されたのは今回が初めて。

 一方、農林畜産食品部はヨーロッパ産の卵が韓国に入ってきた可能性は薄いとして、広州の農家の場合は夏でダニが多く発生し、薬品を過多使用したものとみている。

 殺虫剤が検出されたとの通報を受けた食品医薬品安全処は、該当する地方自治体と協力して南楊州・広州の両市で生産された全ての卵の流通・販売を中止する措置を取った。

 正確な流通量はまだ確認されていないが、精密検査で不適格との結果が出れば全数回収・廃棄措置を行う方針だ。

 15日0時からは全国の3000羽以上を飼育する全ての農家の卵の出荷を中止させ、該当する農場を対象に3日以内に全数検査を実施する。

 農林畜産食品部の関係者は「全国の3000羽以上の産卵鶏農場は約1300カ所に及ぶが、3000羽未満の小規模な農場は130カ所に過ぎず、同時に(検査を)行う方針に変更した」と述べた。

 一方、同問題を受け、スーパー大手3社のイーマート・ホームプラス・ロッテマートや農協ハナロマート、コンビニエンスストア大手のCU・GS25・セブンイレブンは卵の販売を一時中断することにした。

 流通業界関係者は「鳥インフルエンザの影響で供給量が減り、一部製品の販売が中断されたことはあるが、大手スーパーやコンビニで全ての卵製品の販売が中断されるのは初めて」として、「市場で大きな混乱が予想される」と述べた。

 当局は、合格した農場の卵のみ出荷を許可する計画だ。

引用:聯合ニュース


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2017-08-16 14:50 | カテゴリ:韓国
■「2年後に建国100周年」!? 政権交代のたびに変わる韓国の“建国年”の謎

2017年08月15日 S-KOREA

 韓国って面白い国だね! 笑えます(笑)
 政権が変わると建国した年まで変わる。これじゃ他の歴史もご都合で変わるぞ!


 本日8月15日は、日本では終戦記念日だが、お隣・韓国では「光復節」と呼ばれる。日本からの独立を記念する祝日となっており、韓国ではさまざまな記念行事も開かれる。

 最も注目されるのは、時の韓国大統領が光復節の記念式典で行う演説だ。

 今年は文在寅大統領が世宗文化会館で演説をしたのだが、驚くべき発言が飛び出たことで、大きな注目が集まっている。

 「2年後の2019年は大韓民国の建国100周年を迎える年だ」と語ったのだ。

◆2年後に建国“100周年”? 計算が合わない

 一体どういうことだろうか。

 そもそも歴史的に見れば、韓国が建国した年は1948年だろう。日本の外務省ホームページにも「1948年大韓民国成立」と、当然のように明記されている。

 しかし韓国では長らく建国年度をめぐって、「1948年派」と「1919年派」の意見が分かれている。

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2017-08-16 12:00 | カテゴリ:感動癒やし泣ける話
■感動する話 女の子「けーき下さい」店員「ごめんね、100円足りないの…」女の子は泣きながら店を出て行こうとした。しかし幸せの神様は存在した!!

2017/06/09公開 4:22



2017-08-16 00:00 | カテゴリ:中国
■【終戦の日】一家6人、満州から日本目指し引き揚げ 略奪や虐殺…止まらぬ涙 群馬・下仁田の佐藤和江さん

2017.8.15 産経ニュース

満州から日本目指し引き揚げ_佐藤和江さん(200x304) 15日、日本は終戦から72年を迎える。長い戦いの終幕は苦しい新生活の始まりで当時、満州国(現・中国東北部)にいた推定155万人の民間邦人は生活が一変、命を失い、全財産をなくし、追われるように日本を目指した。満州の首都・新京(現・長春市)で生まれ昭和21年秋、家族と引き揚げてきた群馬県下仁田町の佐藤和江さん(81)が日本で迎える71回目の夏を前に、あまり公にしてこなかった体験を語った。(久保まりな、風間正人)

◆押し寄せる朝鮮人

 昭和20年8月15日、9歳だった佐藤さんは、満州と朝鮮国境の町、大栗子(だいりっし)で玉音放送を聞いた。

 「日本が負けるなんて」

 2週間ほど前、新京から逃れてきた日本人たちは全員が涙した。だが放送が終わった途端に状況は一変。棍棒やナタを手にした朝鮮人が押し寄せ時計や指輪、財布から屋根裏に隠していた荷物をさらっていった。朝鮮人だけでなく、日ソ中立条約を一方的に破棄して参戦したソ連軍、中国人などに若い女性や所持品を狙われる逃避行が始まった。

 日本人一行が身を寄せた大栗子の施設には満州国皇帝、溥儀もいた。佐藤さんの父が宮内府職員(馬事技官)だったため情報入手も早く、敗戦前に皇帝一族や宮内府職員らと新京を離れたのだった。新京駅で南満州鉄道自慢の特急列車「あじあ号」に乗り込むときの光景を、佐藤さんは鮮明に覚えている。

 「8月上旬、父から『夕方に新京をたつ』と連絡があり大急ぎで荷物をまとめ新京駅へ行くと、大勢の人でごった返していて『乗せてくれ』と頼んでいた。動き出す車窓から残された日本人を見て、子供ながらに心が痛んだ。あの人たちはどうなったのかなって」

 佐藤さんが長年、満州での体験について口を閉ざしてきたのも、このときの後ろめたさからだった。

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