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2014-09-27 12:00 | カテゴリ:感動癒やし泣ける話
樋口季一郎 数千人のユダヤ人の命を救った偉大な日本人 ありえへん世界

「日本人によるユダヤ人難民の救出劇」と言えば、杉原千畝(ちうね)が有名だ。リトアニア駐在の外交官だった杉原は、1940年(昭和15年)、同国に逃げのびてきた約6000人ものユダヤ人難民に対して特別ビザを発給し、その命を救ったと言われている。だが実は、救出劇はもう1つ存在した。
時は、杉原の「命のビザ」発給より2年半も前にあたる1938年(昭和13年)3月のことである。
情報元:もう一つのユダヤ人救出劇

テレビ東京 2014/08/19放送

 テレビ東京の「ありえへん世界」で数千人のユダヤ人の命を救った偉大な日本人について放送されました。ユダヤ民族基金という団体の施設には永久保存されているゴールデンブックがあります。ゴールデンブックにはユダヤ国家建設のために大きな貢献をした人が記載されています。ここに名前が刻まれることはユダヤ人にとって最高の名誉です。そんなゴールデンブックに樋口将軍という意味の「ゼネラルヒグチ」の名が刻まれています。ゼネラルヒグチこと大日本帝国陸軍中将・樋口季一郎(ひぐちきいちろう)さんは一体どんな人物だったのでしょうか?

 樋口季一郎さんは1918年、陸軍大学校を卒業。当時のエリートでした。各国の情報収集にあたる情報武官としてヨーロッパやロシアに赴任し、順調に出世街道を歩んでいました。そして日中戦争が勃発した1937年、満州の関東軍で諜報活動のトップ特務機関長に就任。1938年、ナチスのユダヤ人狩りから逃れて来た数千人のユダヤ難民たちが死に掛けているという情報が入ってきました。満州国と国境を接したソ連領のオトポールで多くのユダヤ難民たちが瀕死の状態にあったのです。当時、ヨーロッパではナチスドイツがユダヤ人迫害政策を強行。ナチスはユダヤ人を生きたまま生体実験に使ったり、銃殺やガス室で次々と大量虐殺していました。命を奪われたユダヤ人は600万人を超えるとも言われています。迫害を逃れてきたユダヤ人はヨーロッパからシベリア鉄道でソ連を経由し、日本の支配下にある満州国を通ってアメリカなどに向かうしか生きる道がありませんでした。しかし、満州国が入国を拒否したためユダヤ人は満州国の手前のオトポールで立ち往生することになってしまったのです。食料は底をつき、寒さと飢えで病人が続出。命の危機にさらされていました。すると、樋口季一郎さんのもとへ極東ユダヤ協会会長のアブラハム・カウフマンが訪ねてきました。ユダヤ人が求めていたのは満州国の入国ビザの発給でしたが、一軍人である樋口季一郎さんにはその権限がありませんでした。とはいえ、実質日本の支配下にある満州国に対して大きな権力を持つ日本軍の樋口季一郎さんに何とかビザ発給の指示を出してくれないかと懇願しに来たのです。しかし、樋口季一郎さんには即答できない深い事情がありました。日本はこの時ドイツと同盟国だったため、ドイツから逃れてきたユダヤ人を救済することはドイツの国策に反していると捉えられてしまいます。つまりそれは日本とドイツの友好関係に傷をつけてしまうことになるのです。

 苦悩する樋口季一郎さんの脳裏には、ある一つの思い出が蘇っていました。それはかつて樋口季一郎さんがロシアに赴任していた時のこと。当時、有色人種たる日本人に対する差別の目が歴然と存在していました。しかし、そんな中でも樋口季一郎さんに差別することなく接してくれたのはユダヤ人だったのです。今こそ、あのユダヤ人への恩に報いるべきではないだろうかと思い、樋口季一郎さんは満州国外交部にユダヤ難民たちにビザを発給することを指示しました。しかも、樋口季一郎さんがユダヤ難民に用意したのは入国ビザだけではなく、難民救済用の列車まで手配。これによって救われたユダヤ人の数は、一説には数千人にものぼると言われています。一人の日本人が自らの地位を顧みず取った行動が多くの命を救ったのです。

 しかし、一方で樋口季一郎さんのユダヤ難民救済行為を知ったナチスドイツは激怒し、日本政府に猛抗議。樋口季一郎さんに対する処分を求めました。これをうけ樋口季一郎さんは関東軍からの出頭命令を受けましたが、樋口季一郎さんの思いは上司の心を動かし、上司はこの人道的行為を正常と判断しこの一件に関して彼を守り不問としました。その後、樋口季一郎さんは北海道の北方守備責任者となり終戦を迎えました。しかし、終戦直後の北の大地で再び事件が起こりました。

 ソ連は日ソ中立条約を一方的に破り、日本領だった南樺太・千島に侵攻。さらに北海道への上陸を試みたのです。終戦直後とあり日本政府が機能せず停戦を決めていた中、樋口季一郎さんは独断でソ連と戦うことを決断。北方に残っていた日本兵たちと共に命をかけて北海道への上陸を阻止したのです。しかし、樋口季一郎さんに北海道上陸を阻まれたソ連は激怒。ソ連は日本を占領下に置いていたアメリカに対し、樋口季一郎さんを戦犯と指名し、身柄を引き渡すシベリア流刑を要求してきました。しかし、なぜかアメリカのマッカーサーがこれを断固拒否。それどころが「樋口を擁護せよ」という指示が出されたのです。さらに日本陸軍の幹部でありながら、敗戦国の指導者を裁く東京裁判にも呼ばれませんでした。一体なぜだったのでしょうか?

 樋口季一郎さんがその理由を知ったのは1950年、ユダヤが生んだ物理学の権威アインシュタイン博士が来日した時のことでした。来賓としてユダヤ人パーティーに招かれた樋口季一郎さんは、パーティーの幹事をつとめていたミハイル・コーガンという一人のユダヤ人からある事実を教えてもらいました。実は樋口季一郎さん引渡しの拒否をした連合国軍総司令部の背後にはアメリカの国防総省がありました。その国防総省に影響力があったのがニューヨークに総本部を置く世界ユダヤ協会。樋口季一郎さんが助けたユダヤ難民の幾人かは世界ユダヤ協会の幹部になっていました。ユダヤ人たちがアメリカ国防総省に樋口季一郎さんを救出するように働きかけてくれていたのです。それは、満州でのユダヤ人救出劇の恩返しでした。

 戦後、駐留軍や企業の顧問就任など様々な依頼が来たものの全て断り隠居生活を貫いた樋口季一郎さんは82歳で亡くなりました。こうして多くのユダヤ人の命を救った樋口季一郎さんはゼネラルヒグチ(樋口将軍)としてユダヤの歴史に名を残したのです。

情報元:TVまとめ
関連記事:杉原千畝 命のビザ 6千人のユダヤ人を救った日本人外交官 日本のシンドラー

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